New Life After 50

50才からは、自分のために生きてもいいですか?

離婚への寛容性

                         

昔、有名なコメディアンが、バツ印を額に貼って離婚会見に臨んだことがありました。以来、離婚は、バツ1と呼ばれるようになりましたが、そもそも離婚って、バツを付けられてしまうことなのでしょうか。

確かに、結婚式では、神前で誓いの言葉を述べました。一生添い遂げようとお互い誓い合いました。でも、人は変わるものです。人間である以上、様々な感情があり、仲が良かった友人と仲違いするなんてことは、しょっ中です。意気揚々と入社した会社で、上司や同僚と反りが合わず、退職するなんてことも日常的なことです。その度に、自らの人間関係を見直したり、切り離したりして、乗り越えて行くのです。

でも、離婚となると、人は、何故か力が入ってしまいます。「せっかくのご縁だから」「気持ちは分かるけど、結婚って、家と家の結び付きだから」と、全力で説得されます。どんなに精神的に辛くても、「ここは我慢して・・・」と続きます。職場や学校の人間関係で辛い思いをしている人に、同じ言葉がかけられるかといったら、そんなことはありません。

本来、結婚生活とは、そんなに長く続くものではありませんでした。日本人の平均寿命は今よりも短く、100年前でも50才前後でした。当時の平均結婚年齢だった22才で結婚して、子供が成人すると、残りの人生はもう数年しか残っていなかったのです。そんな時代に築かれた結婚観が、今もずっと変わらず続いている訳です。働き方も終身雇用から、スキルに合わせて、転職していくようなスタイルに変化していますが、結婚は「何があっても、どんな困難があろうと添い遂げる」というところから変化していません。

現在は、子育てが終わった後、数年どころか、30年以上の年月が残されています。血がつながった親とですら、そんな長い時間を一緒に過ごすことはありませんが、他人同士である夫婦は、人生の4分の3を一緒に過ごすことになるのです。いくら誓い合ったとはいえ、気が遠くなるような長い年月を、たった一人の人と一緒に過ごそうとする制度は、無理があるのではないでしょうか。もちろん、一生仲良く暮らす人もいるでしょう。でも、それはほんの一握りの、「奇跡」に恵まれた人たちです。

だからといって、スキルに合わせて転職を繰り返すように、人生のステージにおいて、その都度、相手を変えましょうと言っている訳ではありません。夫婦関係が上手くいかず、苦しかったり、辛かったりする時、「我慢」を強いられたり、「罪悪感」を感じることなく、「心機一転やり直せる寛容性」があればいいなと思います。人生をやり直す選択は、誰にでも平等に与えられているはずです。「離婚」してやり直す選択もしかりです。決して、バツなんかを付けられることなく。

 

 

 

 

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