前々から計画していた訳ではなかったのだけれど、ただ、子供たちが成人して、50才の足音が聞こえて来た途端、「独り立ち」という言葉がとてつもなく魅力的な響きを蓄えるようになったのだ。紆余曲折を経て、よろよろと頼りなくも、ようやく巣立っていった子供たちの後に残っていたのは、人生100年と言われるようになった膨大な時間。50才からのコウフクは、始まったばかり。
ボトックスを止める理由
老いを素直に受け入れられる人というのは、一体どれくらいいるのだろう。忘れっぽくなったり、以前に比べて体力が落ちてきたり、どこからともなく、少しずつ忍び寄ってくる老い。
新調したメガネをかけて鏡を見ると、なんだかシワが深くなっているし、シミも増えている。そんな時に、美容皮膚科へチャッと行って、チャチャッとボトックスやらフィラーを打ってもらう。10日もすれば、笑おうが何をしようが、シワは全く出てこない。フィラーのおかげでほっぺたもぷくぷくだ。
ただし、能面のような顔と引き換えに。
シワを失くすと同時に、表情も失くしてしまうのだ。笑っているはずなのに、死んだ魚のような目で、写真に写る自分に驚く。
シワもなくぷくぷくであれば、それでいいんだもの!と最初は思うのだが、そのうち、笑う場面に遭遇する度、「私、笑えていないよね?」「皆んな楽しそうに笑っているのに、笑っていないよね?」と不安になり始める。そしてこの間、Netflixで久しぶりに見た女優が、物語の最初から最後まで、能面のような暗い表情だったことを思い出す。
どう足掻いたって、能面の下は50代なのだ。これから若返っていくはずもなく、確実に老いていく。止めようもない、人間の一人生の過程だ。
じゃあ、もう外しちゃう?
まるでセーターを脱ぐように、ボトックスを突然止めた。いきなり素の自分に戻って、ちょっと恥ずかしいようなくすぐったさを感じるけれど、現実と共に生きる潔さみたいなものを勝手に感じている。
でも、また付けたくなったら付ければいい。そのためのお面だ。こうやっていい加減に年取って行きたいと願う日々。
雪だるま&トナカイ
今年のクリスマスは、絶対これを作りたい!と鼻息荒く一人で意気込んだ理由は、これ。クリスマスツリーの足元に仲良く並んでいました。とてもシンプルなのに、悶絶するくらい可愛い。枝を差して角にするところなんて、点数の付けようもありません。(点数を付ける必要はないのですが)
そして、アメリカの3段雪だるま。「やっぱり、雪だるまは3段に限る」と、意味もなく納得してしまいます。
どちらもシンプルで、森の中で見つけた木で、ぴっぴっぴっと作れそうです・・・と思っているのは多分私だけ・・・まずはどうやって森の中で「運良く」結構な太さの丸太を見つけるのか、そしてそれを一体どうやって切るのか・・・チェーンソー?
冬の避暑地で鳴り響くチェーンソー。ホラー映画が頭をよぎります。
-12℃のDenver, Colorado
何を血迷ったか、23℃の快適なカリフォルニアから、コロラド州デンバーへ。空港到着時に13℃あった気温は、どんどん下がり、ついには-12℃に。外気に触れているだけで、記憶がなくなっていくような、意識がなくなっていくような、そんな感じ。寒いというより痛い。激痛。
人間の体は、昔の体験を覚えているそうで、意外とすっと馴染むんだとか・・・というのは、全くの嘘。西海岸で長年甘やかされた体には、東海岸の極寒体験なんて、1ミリも残っていない現実を突きつけられました。
ついこの間、雪が降ったら、スノーブーツを履いて雪かき云々と言っていた自分に、もはや自信は全くありません・・・今年の冬は、長野は暖冬の予想ですか?
離婚・卒婚の重要事項 その2
過去を一切合切忘れて、新しい人生を生きていくことは重要なことだと思う。人によっては、過去とは二度と思い出したくないものなのかもしれない。でも、思い出したくないほど辛くても、過去を否定してしまうと、自分の人生すら否定することになりかねない。なので、自分の中でそれをうまく昇華させて、気軽に自分の過去を訪ねていけるカジュアルさを持てるようになることが、離婚・卒婚の重要事項の一つだと思っている。自分の中に鬼門を作ってしまうと、新しい人生を生きていくはずが、それらにがんじがらめにされ、身動きが取れなくなってしまう気がするのだ。
かくいう私も、そのカジュアルさを得るまで紆余曲折があり、もう二度とアメリカには行かなくてもいいと思うこともあったし、元夫とも二度と関わりを持たなくていいと思うこともあった。でも、そう思えば思うほど、新しい人生は、過去と一緒に色あせていく。「これから」のはずが、過去に引きずられて、どんどん後退していくような感じだ。
というわけで、紆余曲折+パンデミックを経て、今では、ごく普通に隣町に行くようにアメリカにも出かけるようになった。昔からの友達に会い、懐かしい場所を訪ね、懐かしい食べ物を食べる。今だからこそ、見えるものがたくさんあり、これからの人生が色あせるどころか、どこか「楽しげ」になる。これが自分の一部なんだと、愛おしさすら感じながら、ちょっとうるさいカモメと一緒に、海辺のベンチで過ごす。望遠鏡から覗く未来は、太陽の反射もあるけれど、結構輝いている(ように見える 笑)。
(写真:@Seal Beach, CA 11/25/2022)